開催レポート
9月21日(土)
会場:十和田市・奥入瀬森のホテル
2024年9月21日(土)
奥入瀬サミット2024 セミナー①「多様性が生きる社会へ」 視野を柔軟に広げる/高橋 惠子さん
2024年9月21日(土)
奥入瀬サミット2024 セミナー①「多様性が生きる社会へ」 視野を柔軟に広げる/高橋 惠子さん
今日は奥入瀬に初めて来ることができました。今まで晴れ女と言われてきて、大事な時に雨が降るのは初めてです。サミットのテーマが「リフレーミング」なので、今日から恵みの雨をもたらす女に変わろうと思います。
俳優業をしていると、どうしても撮影の時は晴れて良かったとなるんです。ある時、ハワイでコマーシャルを撮影して、私が帰りの飛行機に乗った瞬間にザーっと雨が降って。その時も撮影自体は続いていたので、現場のスタッフが私のポラロイド写真を空に向けたら、何と雨が止んだと。それが自慢だったのですが、先ほど雨の奥入瀬渓流に浄化されて、あらためて水の恵みに感謝しています。
私は北海道の原野で生まれたんですね。親が酪農をやっていて、野菜も作りながら生計を立てていました。そして、兄は生まれてすぐに脳性まひになって、私は兄の10年後に生まれました。母が横たわっている兄にご飯を食べさせてあげているのをずっと見ているという子どもだったのです。兄は13歳で他界しました。
ある時、「障害のある人は生まれてくる前に『障害者として生まれてきたい』と思う。そういう人がいっぱいいるんだ」という話をしている映像を見ました。なぜ障害者に生まれたいと思うかというと、「健常者よりも魂を磨く機会が多いから」と。「障害を持っていてかわいそう」という見方もあるかもしれませんけれども、魂を磨くためにあえてそうした姿で生まれてきたと思えば、また全然違う物の見方ができると思いました。
天気も同じです。大体雨には「あいにくの」とつきますよね。あいにくの雨なのか、恵みの雨なのか。太陽の光も雨もどちらもなくてはならない。一方的に見るのではなく、いろいろな捉え方をすることがこれからは大切なんだなと感じています。
俳優業をこんなに長く続けるとは思っていなかったのですが、長くやってきて良かったことがたくさんあります。一つはいろいろな立場の人の思いが分かるということ。自分が経験したことがない役をやることによって、その人の状況、そしてどんな思いだったのかを知る。日々の暮らしの中で、相手の身になるのはとても難しいですよね。でも、相手の身になった時に理解や和解が生まれてくるのです。
日本人は季節の移り変わりを肌で感じて、虫の声を聞いて、月を愛でますよね。50代を過ぎて、日本に生まれたことが本当に素晴らしいなと思うようになりました。私は個人的に日本を旅したことがないのです。なぜかというと、特に若い頃は観光地に行くとわっと人が集まってきてしまって。今日雨の奥入瀬を眺めながら、すごくいいなと思って。これからは日本の各地に足を運んで、自分の目で、肌で、耳でその良さをしっかりと味わいたいなと思いました。
来年の1月で70歳になるのですが、私は103歳まで生きると決めています。せっかくここに生まれてきたので、日本の美しさをしっかり味わって、日本の良さ、日本の文化を海外の人にも伝えていくことが私の夢です。103歳まで続けていきたいですね。
俳優業をしていると、どうしても撮影の時は晴れて良かったとなるんです。ある時、ハワイでコマーシャルを撮影して、私が帰りの飛行機に乗った瞬間にザーっと雨が降って。その時も撮影自体は続いていたので、現場のスタッフが私のポラロイド写真を空に向けたら、何と雨が止んだと。それが自慢だったのですが、先ほど雨の奥入瀬渓流に浄化されて、あらためて水の恵みに感謝しています。
私は北海道の原野で生まれたんですね。親が酪農をやっていて、野菜も作りながら生計を立てていました。そして、兄は生まれてすぐに脳性まひになって、私は兄の10年後に生まれました。母が横たわっている兄にご飯を食べさせてあげているのをずっと見ているという子どもだったのです。兄は13歳で他界しました。
ある時、「障害のある人は生まれてくる前に『障害者として生まれてきたい』と思う。そういう人がいっぱいいるんだ」という話をしている映像を見ました。なぜ障害者に生まれたいと思うかというと、「健常者よりも魂を磨く機会が多いから」と。「障害を持っていてかわいそう」という見方もあるかもしれませんけれども、魂を磨くためにあえてそうした姿で生まれてきたと思えば、また全然違う物の見方ができると思いました。
天気も同じです。大体雨には「あいにくの」とつきますよね。あいにくの雨なのか、恵みの雨なのか。太陽の光も雨もどちらもなくてはならない。一方的に見るのではなく、いろいろな捉え方をすることがこれからは大切なんだなと感じています。
俳優業をこんなに長く続けるとは思っていなかったのですが、長くやってきて良かったことがたくさんあります。一つはいろいろな立場の人の思いが分かるということ。自分が経験したことがない役をやることによって、その人の状況、そしてどんな思いだったのかを知る。日々の暮らしの中で、相手の身になるのはとても難しいですよね。でも、相手の身になった時に理解や和解が生まれてくるのです。
日本人は季節の移り変わりを肌で感じて、虫の声を聞いて、月を愛でますよね。50代を過ぎて、日本に生まれたことが本当に素晴らしいなと思うようになりました。私は個人的に日本を旅したことがないのです。なぜかというと、特に若い頃は観光地に行くとわっと人が集まってきてしまって。今日雨の奥入瀬を眺めながら、すごくいいなと思って。これからは日本の各地に足を運んで、自分の目で、肌で、耳でその良さをしっかりと味わいたいなと思いました。
来年の1月で70歳になるのですが、私は103歳まで生きると決めています。せっかくここに生まれてきたので、日本の美しさをしっかり味わって、日本の良さ、日本の文化を海外の人にも伝えていくことが私の夢です。103歳まで続けていきたいですね。
2024年9月21日(土)
奥入瀬サミット2024 セミナー②「自分らしく輝く人生のターニングポイント」 自信持って夢に進んで/並木 里也子さん
2024年9月21日(土)
奥入瀬サミット2024 セミナー②「自分らしく輝く人生のターニングポイント」 自信持って夢に進んで/並木 里也子さん
私はものづくり企業の3代目。学生時代は幼稚園の先生を志していましたが、スノーボードの全日本選手権優勝というタイトルを取ったことがきっかけでアスリートの道へ進みます。ワールドカップを転戦し、結婚を機にカリフォルニアへ。その後上海、日本、スイスと、世界中で3人の子どもたちを育ててきました。
アスリートではありましたが、実は子どもの頃は走るのが遅く、逆上がりもできないほど運動が苦手でした。しかし、祖父と父の影響で、私自身も2歳からスキーに親しんでいました。そして高校時代、父が買ってきたスノーボードにのめり込みます。こつこつ練習していたらレベルが少しずつ上がって、気付いた時には舞台が世界に広がっていたのです。
さて、私が社長を務めるオーブレーは祖父が1939年に並木製作所として設立した会社で、現在は工業用宝石、小型モーター、光通信部品、医療装置の製造・販売を担っています。東京に本社を置き、国内工場は黒石市と秋田県湯沢市、横手市。そしてタイ、シンガポール、アメリカ、ドイツにも拠点があります。
当社ならではの技術の一つに、匠の技を持つ職人が手作業でダイヤモンドを削って仕上げるレコード針があります。このような日本の素晴らしいものづくりを多くの皆さんに伝えたいと思い、湯沢市の旧TDK工場に昨年、当社の針でレコードを流すカフェを併設した・魅せる工場・をオープンしました。
しかし製造業はいまだに女性が少ない業界。それを変えていきたいと考え私が手掛けたのは、工場で働く女性従業員を対象にしたライフセミナーでした。国内外で活躍する女性たちによる講演やグループワークを通し、全員が本来の自分を知り、他人と対話して認められることで自己肯定感を育み、自分らしく輝くための生き方を学びました。
子どもの頃は夢に向かって真っすぐに取り組んできたのに、大人になるにつれて周りを気にして諦めてしまい、モチベーションを失ってしまう人は少なくありません。自分に自信がない。他人に遠慮したり我慢してしまったりする。私は、これらを打破していくことは誰もができると信じています。いくつになっても、目標や夢に向かって進みましょう。
最後に私のターニングポイントを紹介します。まずは全日本優勝。これは私が初めて取った1等賞でした。母は「運動が苦手な青少年に夢を与える存在になれるから頑張りなさい」と、アスリートへの道を後押ししてくれました。
次は家業を継いだこと。スイスで暮らしていた頃に一時帰国した時、会社が経営危機に陥り、社員の心も離れているのが分かりました。このままでは技術が失われてしまうことに危機感を抱き「父に物が言えるのも、中から改造できるのも、血筋を受け継いでいる私しかいない」と決断しました。ビジネス経験はありませんでしたが、とにかくやるしかないと。今でも日々勉強を続けています。
そして来年、私は子どもと一緒に秋田に移住し、再来年には本社も秋田に移す予定です。東北から世界へつながるものづくり。その道筋を作っていくことを、今から楽しみにしています。
アスリートではありましたが、実は子どもの頃は走るのが遅く、逆上がりもできないほど運動が苦手でした。しかし、祖父と父の影響で、私自身も2歳からスキーに親しんでいました。そして高校時代、父が買ってきたスノーボードにのめり込みます。こつこつ練習していたらレベルが少しずつ上がって、気付いた時には舞台が世界に広がっていたのです。
さて、私が社長を務めるオーブレーは祖父が1939年に並木製作所として設立した会社で、現在は工業用宝石、小型モーター、光通信部品、医療装置の製造・販売を担っています。東京に本社を置き、国内工場は黒石市と秋田県湯沢市、横手市。そしてタイ、シンガポール、アメリカ、ドイツにも拠点があります。
当社ならではの技術の一つに、匠の技を持つ職人が手作業でダイヤモンドを削って仕上げるレコード針があります。このような日本の素晴らしいものづくりを多くの皆さんに伝えたいと思い、湯沢市の旧TDK工場に昨年、当社の針でレコードを流すカフェを併設した・魅せる工場・をオープンしました。
しかし製造業はいまだに女性が少ない業界。それを変えていきたいと考え私が手掛けたのは、工場で働く女性従業員を対象にしたライフセミナーでした。国内外で活躍する女性たちによる講演やグループワークを通し、全員が本来の自分を知り、他人と対話して認められることで自己肯定感を育み、自分らしく輝くための生き方を学びました。
子どもの頃は夢に向かって真っすぐに取り組んできたのに、大人になるにつれて周りを気にして諦めてしまい、モチベーションを失ってしまう人は少なくありません。自分に自信がない。他人に遠慮したり我慢してしまったりする。私は、これらを打破していくことは誰もができると信じています。いくつになっても、目標や夢に向かって進みましょう。
最後に私のターニングポイントを紹介します。まずは全日本優勝。これは私が初めて取った1等賞でした。母は「運動が苦手な青少年に夢を与える存在になれるから頑張りなさい」と、アスリートへの道を後押ししてくれました。
次は家業を継いだこと。スイスで暮らしていた頃に一時帰国した時、会社が経営危機に陥り、社員の心も離れているのが分かりました。このままでは技術が失われてしまうことに危機感を抱き「父に物が言えるのも、中から改造できるのも、血筋を受け継いでいる私しかいない」と決断しました。ビジネス経験はありませんでしたが、とにかくやるしかないと。今でも日々勉強を続けています。
そして来年、私は子どもと一緒に秋田に移住し、再来年には本社も秋田に移す予定です。東北から世界へつながるものづくり。その道筋を作っていくことを、今から楽しみにしています。
9月22日(日)
会場:十和田市・奥入瀬森のホテル
2024年9月22日(日)
奥入瀬サミット2024 トークセッション「学びと進化」 並木里也子さん、大谷真樹さん、対馬ルリ子会長
2024年9月22日(日)
奥入瀬サミット2024 トークセッション「学びと進化」 並木里也子さん、大谷真樹さん、対馬ルリ子会長
奥入瀬サミットの2日目は、ゲスト講師と参加者約50人とのトークセッション。今後の人生で挑戦したいことなどについて互いに語り合い、充実した人生へのヒントを探りました。
トークセッションには、初日に講演したOrbray(オーブレー、東京)社長の並木里也子さん、青森県知事参与の大谷真樹さん、奥入瀬サミットの会の対馬ルリ子会長が登壇。「学びと進化」をテーマに約2時間、ざっくばらんなトークが繰り広げられました。
並木さんは「自然に触れるといった実体験を通じた学びから、何事も意識することが大事。そうすることで自分も変わるし、周りも変わる」と強調。大谷さんは「年を重ねることは奇跡を重ねること。いろいろな形で奇跡を起こしていって」、対馬会長は「目標を口に出して宣言すれば、その目標は必ずかなう。たくさんの人と学び合い交流して、目標をかなえよう」とそれぞれ参加者にエールを送りました。
トークセッションには、初日に講演したOrbray(オーブレー、東京)社長の並木里也子さん、青森県知事参与の大谷真樹さん、奥入瀬サミットの会の対馬ルリ子会長が登壇。「学びと進化」をテーマに約2時間、ざっくばらんなトークが繰り広げられました。
並木さんは「自然に触れるといった実体験を通じた学びから、何事も意識することが大事。そうすることで自分も変わるし、周りも変わる」と強調。大谷さんは「年を重ねることは奇跡を重ねること。いろいろな形で奇跡を起こしていって」、対馬会長は「目標を口に出して宣言すれば、その目標は必ずかなう。たくさんの人と学び合い交流して、目標をかなえよう」とそれぞれ参加者にエールを送りました。